2007年2月19日月曜日

東芝ココム事件:マルコム・ボールドリッジ氏の死

※東芝が、図々しく盗みに成功したLexar Media IncからのNANDフラッシュメモリーのキー技術窃盗、特許紛争中のNano-Proprietary IncからのSEDパネルのコア技術窃盗、近々に特許紛争になるであろうGeneral Electric CoからのABWR(原子炉AB1600およびAB1000)のコア技術窃盗を見ていると、東芝がもうすぐ逆切れし、日本人を騙し巻き込み、日本に、アメリカとの戦争をさせるのではないかと心配です。だから今こそ、東芝ココム事件を多くの日本人に知って欲しいのです。東芝に、もう、マインドコントロールと情報操作で騙されないために。確か2000年にあった米東芝パソコン訴訟でも、多くの日本人は東芝にマインドコントロールされ、『アメリカに非がある、アメリカが過剰反応し過ぎた。』と信じてしまったようですから。

 これは、私が、主に2006年3月に読んだ、春名幹男(共同通信社ワシントン市局長)著「スクリュー音が消えた 東芝事件と米情報工作の真相」(1993年)、大下英治著「ドキュメント東芝の悲劇 次に狙われるのはどこか」(1987年12月10日)、(元々東芝労組くさい)国家秘密法に反対する市民ネットワーク(現、JCA-NET (http://www.jca.apc.org/))とエコピース研究会(現、ピースネットニュース)著「東芝事件の真相」(第二版 1987年8月24日)に基づいています。念のため、春名氏の本は、大方(表面上)、東芝よりに、大下氏の本は完全な東芝よりに、JCA氏の本は完全な東芝よりかつ反米的に、書かれていました。

 東芝ココム事件とは、東芝機械と伊藤忠商事、和光交易が、1982年から1983年にかけて、ソ連に、東芝機械製の9軸同時制御のスクリュー加工用工作機械4台と、一緒にコングスベルグ社製の数値制御(NC)装置を、ココム規制に反して、売った事件です。1985年12月に、元和光交易モスクワ支店長・熊谷一男氏がココム(対共産圏輸出調整委員会)本部(パリ)に東芝機械のココム違反を暴露する英文の書簡を投書したことから事が発覚し、1986年から1988年にかけてアメリカが騒ぎ出し東芝に制裁をしようとした事件です。その中で、東芝会長佐波正一と東芝社長渡里杉一郎が、1987年7月1日に引責辞任しました。
 和光交易は共産圏専門商社で、和光交易が、東芝ココム違反の対象となったソ連との取引を東芝機械に仲介し、東芝機械が伊藤忠商事をパートナーに選びました。

 春名氏の本では、『1987年7月15日、マルコム・ボールドリッジ米商務省長官は石坂信雄氏(東芝アメリカ社長)に会って「重要なことは、日本政府の認識が甘いことだ。まず、日本政府を説得して考え方を改めさせることだ」と言った。東芝の第三者による内部監査、再発防止を求めた。・・・(数ページ後で)・・・1987年7月25日、ボールドリッジはロデオの練習中、落馬で死亡した。』とありました。ボールドリッジ氏が乗馬が上得意だとも。
 私は、当然、東芝が電磁波(マインドコントロール)テロで、馬を暴れさせボールドリッジ氏を口封じのために殺害したと考えています。春名氏は、その真実を、どうにか伝えたかったのだろうと考えています。
 JCAの本では、25ページの箱枠『ボルドリッジの戦死』で、ココム規制強化最右翼のリチャード・パール元前国防次官補(現AEI Resident Fellow)、通称『闇の王子』ら(ら=スティーブ・ブライエン国防副次官とキャスパー・ワインバーガー国防長官)がココム規制緩和推進派で政敵のマルコム・ボールドリッジ米商務省長官を殺したと示唆していました。この本では、おかしなことに、ボールドリッジ氏が東芝擁護派だとありました。色々な情報を載せ諜報力に富んでいるにもかかわらず、死の10日前に、東芝(石坂氏)にクレームを付けたことは書いてありませんでした。ここには、転倒した馬の下敷きになり全身打撲と出血多量で死去したともありました。
 私は、東芝が電磁波(マインドコントロール)テロで、馬を狂わせたか馬に激痛を与えたと疑っているのです。初期の電磁波マインドコントロールでもそのくらいできただろうと思うのです。まさか、証拠の残る薬物を注射しには行かないと思うので。
 春名氏の本では、パール氏が最初に、東芝に対して行動を起すように、アメリカ政府に進言し、1986年11月に突然、肝炎を患い周囲に辞意を漏らし始め、1987年6月に辞任したともありました。私は彼の肝炎も、偽物、東芝のマインドコントロール虐待だと疑っています。

 日本人の東芝機械ココム違反告発者、元、和光交易のモスクワ市局長の熊谷一男氏も、ご存命のようです。
 東芝ココム事件の後、熊谷氏は、作家、熊谷独(ひとり)として成功しました。1993年、著書「最後の逃亡者」でサントリーミステリー大賞を受賞しました。
 大下氏の本には、文藝春秋の1987年か1988年の9月号で、わざわざ、「東芝機械の9軸同時制御のスクリュー加工用工作機械でソ連の潜水艦のスクリュー音が消えたわけではない、アメリカの言いがかりだ」と言うような東芝を擁護する発言をしたとありました。
 熊谷氏は、東芝機械ココム違反告発者と言うよりはむしろ和光交易への不満告発者でしたが、きっと、東芝の産業スパイだったのでしょう。(東芝より強そうな)東芝労組の共産党員だからソ連に信用され和光での取引仲介ができ、社会的にも干されずに済んだのでしょう。その上、確か、熊谷と言う名の東芝労組リーダーがいたような気もしますから。

 春名氏の本は、『1987年9月17日に、2人の米兵が、極秘で、1986年に東芝が不正輸出した疑いのあった東ドイツ、ポツダムの半導体CMOS工場(『東芝3』とも呼んでいた)を調査していた時に、ソ連兵が米兵に気付き、銃を7発撃ち、そのうち1発が当たり、1人が腕に軽傷を負った。』と書いています。私は、東芝が、米兵の調査を妨害するために、ソ連兵をマインドコントロールしたのではないかと考えています。
 また、私は、古い新聞から、ホワイトハウスが1987年9月18日に議会の東芝制裁要求を拒んだことを知りました。ホワイトハウスも東芝にマインドコントロールされていたかもしれないと思いました。
 色々ヒントをくれた春名氏の本には、(エシュロンと言う呼び名は無いものの)明らかにエシュロンを描写しておりましたが、東芝本社は、東芝ココム事件の時はまだ、アメリカ政府のエシュロン諜報の実態を知らなかったと書いています。そんな事は有り得ない、絶対知っていた(マインドコントロールすら使っていた)と思いますが。

 私は、アメリカの東芝への怒りは全く正しいものだったと考えています。それは、東芝機械の機械でソ連の潜水艦の騒音がなくなったことが正しいかどうかではなく、アメリカ人のマルコム・ボールドリッジ氏が殺され、東芝が日本人やアメリカ人を情報操作したことに対する怒りとして正しかったと考えているのです。
 私は、東芝ココム事件で、一見、アメリカに負けたように見える東芝が(残念ながら)勝ったと考えています。実際には東芝制裁は実質を伴わなかったみたいですから。

 私は、東芝ココム事件当時(1987年)は、日本のニュースを鵜呑みにし、日米経済摩擦から来たとばっちりだと信じていました。私は、東芝の情報操作に騙されていました。当時、大学生で、一般的な日本人と同じように、東芝は何の興味もないどうでもよい存在でしたから。今では、当時、東芝が、東芝ココム事件を、日本人の反米意識や愛国心を持ち出し、話をすり替えていたこともよく分かります。
 (近年、裏で、東芝出身の鈴木勝利電機連合委員長(1996年-2003年)と彼の電機連合が、たぶん東芝労組員にオルグされた外の多くの労組も、日本がアメリカのマインドコントロール戦争の渦中にあると言い、表で、小泉純一郎首相(2001年4月-2006年9月)と与野党を問わず多くの国会議員達やテレビや本上の大学教授やジャーナリストが、悪者のアメリカが日本を動かしていると言って、多くの日本人を欺いて来ました。日本は東芝のマインドコントロール統治支配の渦中(BSデジタルおよび地上デジタルなどの新テレビ電波(ハイビジョンテレビ電波)実行支配下)にあると言わずに、アメリカを悪者に仕立て上げています。彼らが日本の反米意識や日本の愛国心を宣伝している間に、東芝が完全に、ハイビジョンテレビ電波で、日本を支配してしまい、世界も支配しそうな状況になってしまいました。)
 (ちなみに、東芝ココム事件時の電機連合委員長は、東芝の竪山利文(同委員長(1975年-?年))だったのではないでしょうか?東芝労組委員長の方は誰だったか分かりませんでした。)

 春名氏の本は、『1986年11月、レーガン政権は、イラン・コントラ秘密工作事件を暴露されて、屋台骨が揺らぎ、急速に指導力を失っていった。』と書いています。東芝がイランコントラ事件をリークしたと強く疑っています。もしかしたら、イラン・コントラ秘密工作をアメリカに呼びかけたのも東芝だったのかもしれないと。現東芝社長の西田厚聡がイラン人と(1975年、東芝入社時に、明らかに東芝のイランビジネスのために)結婚していたことが気になります。
 新聞によれば、キャスパー・ワインバーガー氏も、1987年にイランコントラ事件発覚で国防長官を辞任しています。
 ジェイムズ・バムフォード著「すべては傍受されている 米国国家安全保障局の正体」(2003年3月25日)は、ウィリアム・オドムNSA長官もイラン・コントラ事件で退任をせまられたと書いていました。彼の在任期間は、1985年5月8日から1988年8月1日でした。春名氏の本では東芝が東芝ココムでエシュロン盗聴されたとありましたが、その最高責任者はオドム氏です。また、彼は『NSA史上最も無能な長官』と言われているそうで、それもきっと東芝の腹いせ・情報操作のせいなのでしょう。
 JCAの本は、アメリカを批難するために、イラン・コントラ事件を紹介していました。これでもっと、東芝がリークした疑いを強めました。

 春名氏の本には、『1988年8月にNECのココム違反容疑が持ち上がった。』とありました。効果的にロビイストを使い危機を回避できたとのことでしたが、このリークも、やはり、東芝が、東芝ココム事件を希薄化させるために、やったんだろうと思います。


 東芝ココム事件で東芝制裁に関与した人々は皆、ヘビのように執念深く逆恨みする東芝に電磁波兵器(含む、マインドコントロール)で、既に殺害されているかこれから殺害される可能性があります。
 3つの本に登場した人は、リチャード・パール Richard Perle、スティーブ・ブライエン Stephen Bryen、フレッド・イクレ Fred Ikle、キャスパー・ワインバーガー Caspar Weinberger、ロナルド・レーガン Ronald Reagan、ウィリアム・トリップレット William Triplett、ダンカン・ハンター Duncan Hunter、ジェイク・ガーン Edwin Jacob (Jake) Garn、ヘレン・ベントレー Helen Bentley、マルコム・ボールドリッジ Malcolm Baldrige、マクレラン・"ガイ"・デュボア (McLellan ?) Guy Dubois、1987年9月17日に東ドイツのポツダム郊外の町ノイルピンを(東芝が不正輸出した疑いのCMOS半導体工場を)調査していた米兵、チャールス・ウィルソン Charles Wilson、ジョン・ローランド John Rowland、リチャード・シェルビー Richard Shelby、ジェシー・ヘルムズ Jesse Helms、ジョン・ハインツ John Heinz、トビー・ロス Toby A. Roth、ニール議員 Stephen L. Neal、ソロモン議員 Gerald B. H. Solomon、バンパース議員 Dale Bumpers、アラン・ディクソン Alan J. Dixon、ビルブレー議員 James H. Bilbray、ジェームズ・アウワー(James Auer ?)、ジョン・E・カーボウ (John E. Carbow ?) (敬称略)でした。
 私が調べた、3つの本に出ていなかった東芝制裁関係者は、米国会議員のWilber C Daniel、Charles Bennett、Donald Lukens、必然的関係者はNSA長官のWilliam Odom (敬称略)でした。
 アメリカ政府が東芝のマインドコントロールを防げないなら、国会議員の人々は、東芝にマインドコントロールで選挙を、既に妨害されているかこれから妨害される可能性があります。2004年の東芝郵政談合癒着首相・小泉純一郎の郵政選挙での反対派のように。
 (これは、彼ら正しい人々を、東芝の犯罪から万人の目で、守るために明記しました。)

 ボールドリッジ氏のケースほどではないのですが、ジョン・ハインツ上院議員は1991年4月4日飛行機事故で亡くなりましたが、それが東芝の電磁波テロではなかったか?、1987年7月15日に東芝制裁法案H.R.2948を提出したウィルバー・ダニエル下院議員が1988年1月23日に亡くなったこと(死因が病気なのか何なのか?)も気になっています。
 特に、チャールス・ウィルソン下院議員がご存命ですが1996年10月8日に辞任したこと、ジェームズ・ビルブレー下院議員もご存命ですが1996年の再選に失敗したことも気になっています。1996年はアトランタオリンピックの年で、東芝がそのATV(=デジタルハイビジョン放送HDTV)と言われるテレビ中継システムをNBCから受注し担当したからです。
 私は、もしかしたら、ロナルド・レーガン元大統領のアルツハイマーとキャスパー・ワインバーガー元国防長官の死因、肺炎が東芝のマインドコントロール虐待だったのではないかとも考えています。
 (一方、ダンカン・ハンター下院議員とリチャード・シェルビー下院議員はご存命で今も現職国会議員です。ハンター氏の方は、私がこの文章を書いた後の2006年の選挙でも、勝つことができました。これからも見届ける必要がありますが、東芝より強いのかもしれません。)

 CIAの輸出管理部門TTAC(技術移転評価センター)部長、マクレラン・"ガイ"・デュボア(McLellan ? Guy Dubois)氏が、無事に生きているのかぜひ知りたいと思っています。ネットで探しても、確信の持てる彼は見つかりませんでした。もしかしたら、元ピープルソフト・ジャパン社長でVantive取締役副社長~現Cramer社長兼CEOのギー・ドゥボワ(Guy Dubois)氏は彼なのかもしれません。東芝社員に乗っ取られた状態のオリックス証券は、2000年、やはり、東芝社員に乗っ取られた状態のNTTデータ経由で、Vantive社のCRMソフトを導入していました。うろ覚えで間違いかもしれませんが、(めんどくさいので資料の確認もしませんが)、東芝はVantive社のビジネスパートナーだったような気がします。もし、そうなら腑に落ちません。マクレラン・"ガイ"・デュボア氏は、1987年秋、東芝を『東芝1:東芝ココム事件』、『東芝2:東芝が、1979年に、チェコスロバキアに対して半導体組み立てプラントを輸出した件』、『東芝3:東芝が、1986年、東ドイツに対して、CMOSという半導体の組み立てプラントを分解した形で違法輸出した件』で攻めた張本人だから。事件後、東芝が、ガイ・デュボア氏を奴隷のようにマインドコントロールで脅迫して、東芝陣営の人間として、利用しているのではないかと心配です。

 東芝が、マルコム・ボールドリッジ氏やジョン・ハインツ氏にゆかりの深い記念機関(マルコム・ボールドリッジ賞とかの)を、イケシャーシャーとエセ人道的に、(彼らの死後)支援しています。東芝がボールドリッジ氏を殺害したのはほぼ間違いないのです。

※東芝労組ジャーナリスト達が日本の首相がアメリカのマインドコントロールテロで殺されたと本で言っていたので、私は逆に、小渕恵三元首相が脳梗塞で2000年4月2日に倒れ2000年5月14日に死亡したのと、たぶん大平正芳元首相が1980年6月12日に心筋梗塞で急死したのも、東芝のマインドコントロールテロ殺人だったのではないかと連想してしまいます。日本のテレビはブッチフォンこと小渕氏が頻繁にアメリカに、指示を仰ぐため、電話していると繰り返していましたから、私は、やはり、日本人の誰か、たぶん日本の独裁者の東芝トップに、指示を仰いでいたんだろうと考えてしまいます。東芝R&Dチームは、NTT社員として、i-modeを開発しており、明らかに、NTTドコモは、対して必要とも思えない携帯電話を、1999年2月以降、マインドコントロールで大普及させ、小渕氏にはドコモ株の不正取引疑惑もありましたから、ドコモへの東芝スパイ重役に裏切られ口封じされたのではないかと考えてしまいます。一方で、小渕政権で重用されていたように思うソニーの出井伸之氏やアメリカ大統領・ビル・クリントン氏に支援を受けながら、歴史的窃盗組織かつテロリストの東芝の衛星Mbsat事業を阻むべく闘っていたのではないかとも考えてしまうのです。

※今では、田中康夫氏など、元々、東芝ココム当時にできた(反米の)東芝情報操作グループのJCA-NETに所属している政治家もかなりいるみたいですから、もしかしたら宮崎県知事のそのまんま東(東国原)氏もそうで、JCAに、エセ正義の名の下に、東芝グループ社員(東芝労組も)の事業に都合の良いように、傀儡されているのではないかと心配です。
 ドナルド・ラムズフェルド元国防長官は、ジェネラル・インスツルメント・コーポレーション社長(1990年-1993年)の時、アメリカの国家安全保障に著しく反し、日本の東芝を、アメリカのデジタル・ハイビジョンテレビ・システムのパートナーに選び、小泉純一郎元首相は、首相の時、日本の国家安全保障に著しく反し、日立製作所も名乗りを上げていたのに、東芝に衛星Mbsat事業を認めました。彼らは、そのご褒美として、東芝の仕込んだマインドコントロールを使用し、陰政しヒーローになりました。

※石原慎太郎氏も、著書で、東芝ココムではアメリカが悪いと言っていたはずですが、日本では、東芝に対してだけは、メディアは非難・追及ができないのです。三億円事件(1968年12月10日)と企業秘密警察・東芝扇会(1969年発足)の因果関係と三億円事件の犯人が使った『電波科学』の付録のテレビ配線図が(当時まだテレビの設計をしていなかった東芝深谷工場ではなく、テレビの設計を唯一していた東芝労組の拠点の)東芝小向工場で作られたことを誰も言えないのが良い例ですが。

余談として・・・

 東芝擁護の大下氏の本は、東芝会長、佐波正一と東芝社長、渡里杉一郎の東芝ココム引責辞任について、生え抜きの東芝顧問で元社長の岩田弍夫氏が、著者に、「・・・しかし、それよりも大切なことは、東芝制裁法案をやめてもらうことです。そのためには、オチンチン出せと言われれば出すし、それで往来を歩けというなら、笑われたって歩きますよ。東芝百年の体制のために・・・」と語ったとありました。
 こんな馬鹿で突拍子もない普通では想像もつかない表現を見て、東芝社長が直轄の東芝扇会を使い、逆らったり仕事のミスを犯したりした社員への見せしめ・懲罰としてそんなことをやらせていたに違いないと確信しました。
 東芝から巨人に(マインドコントロール)入団したピッチャー、高橋尚成はよくカメラの前で進んで尻を(映らない裏面ではきっと前も)出しており自分の昔からのパフォーマンスとして自慢していました。が、実際には、東芝野球部でやらされていたことなのでしょう。1999年4月終盤の日、東芝コールセンターの連中から野球部は飲み会でみんなすぐ脱ぐと聞いていました。高橋の場合は、高校生から東芝府中ラグビー部トレーナー(たぶん東芝の元野球部員)の大石徹の指導を受けていたのでそこから仕込まれたのかもしれませんが。また、関東東芝情報機器システム(KIS)野球部で東芝情報機器(TIE)野球大会(1999年6月か7月)に行き、東芝の保養所「電器屋」に泊まった時、保養所1階の私たちの部屋で、KIS社員の小林健士(当時たぶん28歳、たぶん元東芝府中野球部員)も、2階からの先輩社員渡戸茂の指示(命令)で、しかし喜んで、飲んでもないのに、まだ、明るいうち(15時か16時頃)に、窓に載せる形で、パンツを脱いで通りに向かって尻を出して(前は見せないで)笑っていました。
 察するに、いずれかの東芝生え抜き社長がそんな馬鹿で下品な習慣を東芝グループ全体に作ったのでしょう。(現に、私への東芝のマインドコントロール虐待は、卑劣な性的虐待も多くあります。)

 大下氏の本には、どうでもよいような面白い話もありました。東芝社長土光敏夫氏は、全ての東芝社員に勤務時間以外は、朝出勤後や昼休憩時間も、会社の電気を切るように命じたそうです。その土光イズムはカルトのようにたぶんまだ生きています。1999年、赤字会社でもないのに東芝情報機器(TIE)本社では、昼休憩時間の12:00~13:00、一生懸命働いていた人も多くいたのに、自動的にせこく電気が全部消されていました。

※私の父は、2005年9月に突然、何十年ぶりに糖尿病と診断されました。(私が気付いたのは)2000年からずっと、母は片足を引きずっています。東芝は、1999年4月末から12月にかけて、ほとんど毎日ずっと、私に糖尿病のような(夜中にノドがカラカラで起きる)症状をマインドコントロールで与えました。また、1999年3月には、足を引きずるような痛みも与えました。だから、両親の症状も、特に父のは、東芝のマインドコントロール虐待ではないかと疑っています。2005年9月以降、父は糖尿病の薬を飲み始めましたが、(要らない薬のせいで)日に日に具合が悪くなっているのではないか、これは2005年6月の株主総会後、東芝社長になった金のためには何でもする金の亡者、西田厚聡の命令ではないかと心配しています。(一応、警告はしましたが、(東芝にマインドコントロールされて)ただただ東芝を庇うだけで、マインドコントロール虐待を理解しようともしません。浜田至宇著『マインドコントロールの拡張』やSAPIO 1997年10月8日号のグレン・デイビス氏の『電磁兵器開発はここまで進んでいた!』やDVD『クリープゾーン マインド・コントロール』を与えてもムダ(単なるお守り)でした。東芝以外の覗きができる善意の第三者に両親を見守ってもらうしかありません。)

金丸征太郎
東京都練馬区下石神井2-12-28 泉友ハイツⅡ-101 (日本)
※私は東芝マインドコントロール虐待犯罪被害者です。
http://jbbs.livedoor.jp/news/1301/